Minoru Ohira

大平實

福永治  ・  国立新美術館副館長 兼学芸課長

     私が大平實に初めて会ったのは 1993年の初秋のことで、彼の作品のタイトルにしばしば登場する『サンタ・アナの風』が吹く季節だった。その頃大平はこの熱い季節風が吹き込むロサンゼルスに住んで10年余り,既に独自のスタイルを身につけ、パサデナの工房で制作の日々を過ごしていた。実を言えば、私の中の彼の人となりはその頃と全く変わっていない。たまにロスに行く機会があって訪ねた時も、あるいは日本で何年かぶりに再会したときも、大平の持つ時の流れには変化が見られない。作品の展開もまた同様で、いくつかのタイプの仕事を繰り返し制作し、同じ形態の作品がまた何年か後に現れるという歩みが続いている。いささか先入観にとらわれ過ぎているかもしれないが、彼の近年の作品は、いつどのような場所で見ても、ウェストコーストのからりと晴れた空と、さわやかな風を感じさせるのである。大平の作品を考察するとき、この『繰り返し』と『循環』は、一つのポイントになるものと思われる。
 
    大平實は 1950年に新潟県の旧北蒲原群黒川村、現在の胎内市に生まれ、金沢美術工芸大学で彫刻を学ぶ。その後東京芸術大学院を修了した作家は、1979年にメキシコに渡り、国立美術学校エスメラルダ校に在籍して3年間過ごしている。私は、残念ながら滞在時の様子を詳しく聞いたことがないが、彼の地の風土に、そしてマヤやアステカなどの文明に強く惹かれ、それがその後の制作に影響を与えたことは、これまで指摘されてきた通りであろう。確かに大平作品が持つ素樸さと大らかさには、日本の造形意識と異なる何か、例えば原初の民俗遺産の造形性に通じるものがある。もちろんそれだけではあるまい。新潟に始まり、金沢、東京、メキシコ、カリフォルニアと移動し、その時々の生活や異なる文化体験を糧とし、それらが分ちがたく結びつくことによって、独自の表現を獲得してきたことは容易に想像できる。しかし現在の彼の仕事と、かつて日本で手がけていた石彫やブロンズの仕事との違いを考えれば、やはりメキシコでの見聞や体験,またロスでの活動の影響が,作家の美術観を変えるほどの大きさであったことは間違いないように思われる。私は,国を越えた『移動』と異文化『体験』も,手がかりの一つに加えなければならないと考えている。


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Tree in Desert #1   Cloud on Ground #2   casa #3  Santa Ana Wind #4

     初めて大平實の作品を見る人には信じられないかもしれないが,その作品は彼が身の回りで拾い集めた木々、スレートやガラスで作られている。それも道端の枯れ枝や建築現場の廃材など,既に役割を終えた材料を使い、あまり手を加えないで編んだり張り付けて作品化される。例えば今回の出品作は,古い家が壊された時に出る端材を鉈で削ぎ,手で折ってチップ状にした部材を,骨組みの上に接着したものである。ゆったりとした曲線を持つフォルムと、ささくれたチップで覆いつくされた表面の対比が絶妙で、どことなくユーモラスな造形である。傾いた徳利、あるいは魚に使う魚籠のような形が立ち上がる「砂漠の木」 (#.1)、両端に口があり、胴の短い煙管のような形体が横たわる「地上の雲」 (#. 2)、傘の形をした「家」 (#. 3)、さらに「サンタアナの風」 (#. 4)は、壁から象の鼻がぶる下がるような不思議な形をしており、それは砂漠から吹き込む季節風の通り道のようにも思われる。いずれも当館の展示空間を意識した巨大な造形物である。


  pueblo   Insecto en desiento#2   mascara   insecto  #.5    
     先に彼の作品は循環を繰り返していると述べたが、その始まり、つまりロスに移り住んだ 1980年代前半には、自然の木を紐で結わえたり接着材でくっつけたレリーフ状の造形が見られる。(#. 5) 

もともと大平はメキシコで版画を学び、石版画やドローイングに親しんできたが、それがキャンバスに枯れた枝を張り付けた作品へつながり,さらにレリーフ作品へと展開したのである。見方によっては後年の壁に取り付けられる立体作品は、このような平面造形の発展だと言って良いのかもしれない。いずれにしても、現在の手の込んだ作品に比べ、この次期のシンプルで軽やかな作品は,かつて身近でも見られた鳥の巣や普段に使われている編み籠など、身の回りの素朴な造形に通じるものがある。

    蛇足ながら誤解を避ける意味で付け加えると、大平の作品はアッサンブラージュを始め、あくまでも近代の美術手法に従ったものである。
制作の手法や素材の転換が図られた背景には、やはりロス以前,メキシコでの体験があることを重ねる必要があるだろう。あこがれの彫刻家に出会うことを目的にメキシコに向った大平は,同地でこれまで学んだ美術とは根本的に違う有り様に出会い、身をもって感じ取った結果、美術はどのような素材でも、どのような方法によっても成立するという確信を得るに至った。さらには経済的な事情もそれを促した。ロスでの新しい生活に追われ、従来の彫刻に使われる素材を調達することができなかった作家は、身の回りに打ち捨てられた廃材に目を付けたのである。建築の部材の一部であったり、家具に使われていた木や木端は、大平の手によって再生され、美術作品として甦る。木切れに残る彩色は前時代の名残であり、結果として記憶と時間を取り込むことになる。80年代前半に手がけられた平面的なレリーフ彫刻は次第に厚みを持ち、やがて立体作品へと展開した。ここでは制作手法の『転換』と、素材の『再生』をポイントに挙げておこう。


  fission #2   fission #3   detail  #.6    
 1990年代に入ると、様々なバリエーションの彫刻作品が現れる。レリーフと同様に小枝を継ぎ合わせ、虫籠のように立体化した作品(#. 6)薄く短冊状にした木のテープを巻きつけるように貼り重ね、丸みを帯びたフィルムに成形したもの(fig.1) 、スレートを使った人体のような形象(fig.2) 、木とスレートを組み合わせた作品、今回出品されるチップ状の木片を張り付けたもの、同様にサイコロ状の角材が表面を覆い尽くした作品、漆のように表面を磨いた造形は比較的近年に制作されたものである。大平が手がける作品の多くは、この90年代に生まれ、現在はそれを繰り返し作り続けている。

  Shape of Silence#3 fig.1   Warrior 1993 fig.2  Luna y Sal #87-3 fig.3

一方、平面的な仕事も継続され、既に80年代には、先にも触れたチップ状の破片を貼り込む手法が立体に先行して試みられている。さらに90年代初めには、細かく裂いた樹皮を隙間なく重層的に貼り付ける仕事を繰り返し、中にはコップやガラスの破片を取り込んだ作品も見受けられた。また木とスレート材と組み合わせた造形には、樹皮を箒の毛先のように集めたものや、規則的な模様を描くように貼り込めた仕事(fig.3)が残っている。大平の日本での個展は、1988年の桜画廊(名古屋)を皮切りに、90年代にかけて年に1回のペースで続けられたが、パラレルな関係で制作される立体と平面を同時に展観することが多かった。彼の作品を考察するポイントを、『彫刻』と『平面』で締めくくることにしたい。

 大平實が現在のスタイルを確立した90年代を、改めて検証すると、彼の造形は新しい試みの度に段々と手がこんだ仕事へ発展している。この時期の作品は、ロスで制作を始めた頃の簡素な造形とは異なり、工芸的な手わざが目につくのである。大平はほとんど物差しや定規を使わず、自分の尺度や勘をたよりに制作すると聞いているが、その一方で、根気よく取り組まれるこれらの作品は、明確な構想と、計画性を抜きに成立するはずもない。大平の作品に共通する大らかな造形性は、実は彼がこれまでの歩みで身につけてきた造形思考を反映したものであり、同時に近代彫刻の手法に導かれたものでもある。日本に生まれ、メキシコ、アメリカへと移動した作家は、各地での生活体験や異文化との出会いをいわゆる縦糸に、近代的な彫刻理論を横糸として制作し、今もなお、際立ったオリジナリティーを発揮し続けている。